瑞穂の国は大和・日之本、国家の基盤もあらかた固まって幾歳月。国の中枢、碁盤目状の街の拵えもそれは整然と整うた京の都へは、東西から物資も人も山と集いて、そりゃあ栄え。物や人の流通とともに情報も行き交い、人の価値観も多層に入り乱れ、先進の文化とやらも、いっそ爛熟の感もあるほどなのが困りもの。人が集えば広まるのは和ばかりじゃあない。個々の差を個性ではなく“格差”と見なしての謗そしりや妬みから、起こる諍いも大なり小なり。財力権力、力の差から弾かれし者は心の闇へ鬱屈を溜め、謀議や詐欺に欺かれた者の恨みは、時に鬼をも呼び招く。それでなくとも人の情の、良くも悪くも濃密な街。かつての栄華も去りし廃墟に潜むは、物怪の末裔か、邪霊の影か。
「………む〜。」
陽も暮れて幾刻か。月が煌々とその姿を現し、透き通る刃を思わせるような褪めた光を、夜陰の帳へと音もなく射し入れてくる頃合いにまで夜が深まれば。やわやわの小さな“ぐう”の拳を温めて、真っ先にうとうととお舟をこぎ始めた小さなその身をお布団まで。運んであげたそのついで、明日の予定をお浚いしてから、自分もまた床に就いた瀬那だったが、
「くうちゃん?」
懐ろへやわく抱えていた幼子が、もそりと動いてそれから こしこし、目許を擦する気配がし。掻い巻きという綿入れ布団を、小さなかまくらみたいに膨らませ、むくりとその身を起こしまでするものだから。添い寝をして差し上げてたお兄ちゃんまでもが、つられてお布団の上へと起き上がる。
「おしっこ?」
こんなことって初めてじゃなかったかな? 一旦寝付くと朝まで起きない子だったのにね。水気をたくさん取った訳でなし、いきなり寒い晩だということもなし。一体どうしたんだろかと声を掛ければ、
「おとと様は? おやかま様は?」
まだどこか、曖昧な意識のままなのだろう。輪郭の曖昧な声で問う。ふにゃりと覚束ない表情をしているのが、暗がりの中 ふわりと浮いて、セナの眸にも見えたのは。どこかにいるのだろう憑神の進が、淡いぼんぼりのような光玉を彼らの頭上へと灯してくれたから。寝間着代わりの、白い小袖。まだちょっと大きいから、前の合わせが緩んでて。そこをちょいちょいっと直してやりながら、ご質問へも応じてあげる。
「お二人は…ほら、広間の方に。」
「ん〜ん〜。」
だが、皆まで言わさず、ふりふりとかぶりを振って見せる坊やであり、
「ないない。」
「う…。」
凄いな、寝起きなのに。ううん、だから起きちゃったのかなと。セナが薄い肩をひょこりと竦める。そう、今宵はあのお二人、特別な“お勤め”に出ておられる。お留守だってこと、寝ていて判ったなんてと感心したものの。
“…でも、お出掛けになられたのは、だいぶ前のことだのに。”
くうちゃんを抱えてこの寝間まで下がりしな。それでは我らも出掛けるかと、邪妖への封咒に使う御弊や何や取り揃え、支度にかかっておいでだったお二人だった。手際の良い方々だから、そのまますぐにも出掛けただろに。その気配を嗅いでの目覚めにしては、間合いがずれ過ぎなのが。ちょっぴり引っ掛かったセナであり、
「もう遅いから。ほら、朝までネンネだよ?」
小さな肩がふしゅんと萎えているのは、まだ覚醒し切っていないから。眠けの温みがその身から逃げ去らぬうち、起き切らぬうちにもう一度、寝かしつけてしまおうと。いい子いい子とふわふわの髪を撫でてやり、小さな上体を懐ろへ抱え込めば、
「う〜〜〜。」
まだ何か言いたげな声を出したものの、本人の中でもそれは形を取ってはおらず、難しい言いようで曖昧模糊としているものなのか。形に出来ないそのまんま、むずがり半分でいたものが。
「寝んねこ、しゃっしゃりまーせ。」
か細い声での子守歌が聞こえて来、柔らかくとんとんと、背中を叩かれて。掻い込まれた懐ろは、ちょっと狭くて覆い尽くされてまではないながら、それでも優しい慈愛に満ちていたから、つい。
「…うにぃ。」
心地のいい睡魔からの誘いざないへ、転げ落ちそうになってもおりで。うっすら開きかけてた大きなお眸々も、その潤みを結局は全部見せぬまま。再びとろとろと微睡み始めたか、お向かいにいたセナの懐ろへ、ぽそりとお顔を埋めて来て。手触りのいいお尻尾が、1度ほど ふりゅりと揺れてから。眠りに入った坊やの、その意識を代弁してでもいるかのように、ゆるやかに萎えていったので。
「…寝たみたい。」
誰に言うともなくの小声で呟くと、頭上に灯されてあった光玉もその照度をやわらかく落とす。まるで、姿を見せるまでもないと思ったらしき誰かさんが、それでも“聞いておりますよ”と相槌を打ってくれての反応みたいで。
“ふふ…vv”
懐ろにはふわふわと柔らかくて暖かな、小さい重みを抱え。お部屋の中にはいつも見守っててくださる誰かさんの暖かさを感じつつ。自分の小さな肩へ布団代わりの掻い巻きを引っ張り上げると、そぉっと再び横になり、ただ今はお館様に代わってのお留守居役のセナくん、再びの眠りへとついたのでありました。
◇
さて。
小さな仔ギツネのくうちゃんが、お家に居ないことへと気づいてのむずがりを見せかけたその対象。同じ屋根の下へ存在感を見つけるだけでも落ち着ける、そりゃあ頼もしき大黒柱のおやかまさ…もとえ、お館様こと、蛭魔という陰陽師とそれから。くうのそもそもの養い親である、葉柱という屈強精悍な男衆。二人がその身を運んでいたのは、彼らの寝起きしている住処から少々離れた場末に位置するお屋敷であり。
「場末と言っても、こちらはわざとに閑静なところをと希望しての在所のようだの。」
都の栄えを象徴するは、何も昼間の往来のにぎわいだけではない。夜は夜で、寝て過ごした間に頭上を通り過ぎたお日様の代わり、わざわざの灯火を明々と灯すその出費を浪費と思わぬクチのお歴々による、豪奢な宴や何にへかの談合謀議、はたまた情事としての密会などなどが、そこここの夜陰の裡うちにて繰り広げられもし。華やいだ、若しくは秘やかな、そんな空気を孕んだ逢瀬へ向けての、闇に紛れての道行きもまた、引きも切らずと賑やかしくて。しかもしかもそういう行き来には、企んでのものも大いに混在しての“方違えかたたがえの難儀ゆえ”などという白々しき口上にての突然の来訪も含まれる。灯火が当たり前に灯されて、人の恐れた夜の闇を制覇できたその上、自然界への様々に精通した知識も大陸から伝播して。当世、さすがに“物怪”への脅威は減ったものの、それでもどこかに畏怖の念は残りしか。いやいやそれこそ単なる形式、中身はすっかり形骸化したとして、それでも信仰は残ってのこと。方位による吉凶なんてな、いわゆる“縁起”は大事にされており。今宵は南々西が恵方ゆえ、大事な逢瀬なら北々東からそちらへと向けて進むが吉、なんていう他愛のないもの、大の大人が信じて従ったのがこの時代。ゆえに、目的地への道程の関係上、どうしてもこちら様のお家の門から出た方が吉となっておりますゆえとか何とか、随分と勝手な理由がまかり通ってもいたそうで。
“まあ、よほどに位の高い権門の御曹司ででもなけりゃあ、さすがにそうそうは通らぬ言い分でもあったのだがの。”
そりゃそうでしょうな。つか、強引な来訪への白々しいにも甚だしい“口実”だったってのが、いっそバレバレだってことになる訳ですが。そういうのも“風流”って言い切る厚顔さ、権門には必要だったんでしょうかね。まま、それはともかく。それらを避けての閑散と、人の気配の届かぬような、場末の一角に構えられし、結構な構えのその屋敷。風の音とて寂しいばかり。天穹に宿りし月影も、その冴え冴えとした冷たさばかりが鋭く届いて。荘厳堅固な佇まいの、その寂寥感たるや何とも侘しく心細いことか…と。青白い光に濡れそぼつ、いかめしい外観だけを見る分には、そんな形容も出来るよな、人気の全くしない静かが過ぎるお屋敷なれど。
「よほどに厳格な家だからかの。ありありとした生活臭は残っておらぬが、それでも温みの存在感は大したものぞ。」
間口の広い大戸をくぐれば、人の日々の生活を物語る生気や、粛然と整えられた、躾けのいい意志の名残りは、誰の姿も見えぬうちから感じられもし。主人の一家から使用人たちから、よほどにしっかりと意志を据えての真面目で通しておったのだろう、今時のこのくらいの権門冠者には珍しいほど、健やかな気配しかしない館であり。
「だってのに、ややこしいものに魅入られた…か。」
明かりは一切 灯されておらず、そのため、壁のある長い廊下や蔀・妻戸の降りた部屋などは、ずんと暗くて見通しも悪かったが、夜目の利く彼らにはさしたる支障はなく。
「宮中へも上がっている殿上人であるのなら、折々に神祗官様の下される祈詞や何やかや。きっちり真っ当に守っての、家内への祈祷や何やも務めてたんじゃねぇの?」
昔であればあるほどに、日本の家屋には壁による仕切りがなくて。せいぜいが襖や板戸、衝立での空間の分断がなされるだけ。耳をそばだてれば話も聞こえる…どころか、同じ空間、ただ段差が設けてあるだけの対座であれ、そんな向こうとこちらは厳然とした壁に隔てられているとした、まさに“オリエンタル・マジック”が通用してもいた。よって、直にお顔を見ての会談であれ、階級にはるかな隔たりがある場合、直接のお声かけはご法度である場合も少なくはなく。その間に座した通詞のような人がわざわざ互いの言いようを繰り返し、それでやっと“会話”が成立したそうだから物凄く。…いや、今回はそんなことはどうでもいい。だだっ広い板の間の部屋と部屋と部屋。板戸の引き戸を順々に、左右へ押し開けもっての進軍は、最初のうちこそ覇者であるかのような快感も伴われ、なかなかの爽快感もあったれど。その回数が二桁へかかるほどにもなる頃には、
「おい?」
唐突に立ち止まった意味が掴みかね。盟主の、自分より少しほど背丈が低い分、目の高さに来る頭の先へと、後方から葉柱が声をかければ。すらりと若木のように伸びたお背せなの先、淡い色合いの髪を乗っけた頭がくるりと振り返って来。夜目にも白い顔容かんばせがこっちを見上げて、それはそれは短い一言を仰せになった。
「…飽いた。」
「お〜い。」
目に見える相手があってのことでなし、手ごたえのない“ごっこ遊び”のようなもの。これが本当に、この屋敷を手中に落としての検分などなどであるならともかく、
“単調な作業に過ぎない以上、続けるには限度があるということか。”
それでなくとも…肩越しにちろりんと、振り仰いで来た視線へは逆らえないから。へいへい判りましたと、今度は黒髪の侍従が、先鋒、若しくは露払いよろしく、引き戸を左右に割り開く役を受け持って。結構な広さと深さのある屋敷のその懐ろへ、斟酌なきままどんどんと分け入れば。
――― 不意に、視野が明るく拓けて。
いちいち部屋数を数えてはいなかったから、それが形式としての唐突かどうかは判らない。ただ、手前の部屋には一条の光も射し入ってはなかったので。外気の気配もしなかったので。よほどに隙間のない、いい建具であったかそれとも、
“途中からか、直接にか。結界内への入り口を設けられておったらしいな。”
確かに月夜には違いなかったが、こうまでの大きな月は現世ではありえない。青々と冴えたる色味も毒々しい、芝居の書き割りみたいにそれは巨大な月が、大きく押し開けられた濡れ縁への戸口を埋めるほどの巨大さで、下半分を望めており。自分の手前、先を進んでいた侍従の肩越し、衝立のようなその身へとまとった黒衣のその稜線の向こうに見えた、異様な風景へ、蛭魔はうっすら笑って見せる。こうなるとまでの予想があった訳ではなかったが、これこそ正しく、彼が今宵ここへとその身を運んだその目的の、尻尾の先…のようなもの。
「今宵は月が落ちてくる…と、そんな卦でも出ておったかの?」
そんな一言と共に、自分の後へと続いて来ていた彼の足が、ひたりと停まったがゆえ。自分もまた、庭へと面したその間口まで、距離を残しての急停止。肩越しに目線を送って一応問うたが、ゆるりとかぶりを振ったので、葉柱もまたそこに留まり待機の構え。すると、
《 どうした、お客人。せっかくの月じゃ、ともに愛でようではないか。》
どこからともなくの声がした。家人は全部、雑仕や牛飼い、使用人まで含めての全部、出払っていて留守のはず。居たとしたって、
“この声は、霊感のない者へは届かない種のもの。”
この家の者には、その健全さゆえか、こっちの筋へ縁を持つ性質の者は一切おらず。それでも何だか、体調がおかしい、機運がおかしい、そんな予兆が現れて。科学万能とまでは言わない、そこそこに信心もあって敬虔な家人たちだったが、なればこそ、手落ちから祟られる覚えなんてさらさらなく。さりとて、それ以上に…生霊が躍り込むほど、他者からの恨みやつらみを買うという心当たりもないお宅。ここの嫡男が神祗官様のご嫡男とは気の合う友人同士だという伝手から届いた“単なる噂”へ、まま最近は無聊をかこつ身でもあったしのと。腰を上げての鬼退治、わざわざ構えてござった陰陽師の君であったのだけれども。
《 おやおや、式神のお連れもおいでかの。》
返答がないことへ、更なる誘いか声を重ねる。特に気配を消してはないから、本当は…邪妖の一派、蜥蜴の一門を束ねる総帥格の陰体という身の葉柱の、その正体にまで言は及んで、
《 聞いたことがあるぞ? 我らが同志を籠絡し、式神として牛耳り、調伏のお先棒を担がせて。罪をどんどんと重くして、負界との縁を無理から断たせるのだろ?》
くつくつと、いかにもな訳知り顔が思い浮かぶよな棘のある、低い笑い声が辺りへ響き渡り、
《 自分らに力がないからと、せいぜい悪知恵絞ってのことだろが。何とも惨いことを考えおるわな、人間という奴輩は。》
怖や怖やと、お道化るような節をつけての物言いへ、
「大上段からのご挨拶を、わざわざどうも。」
ただでさえ森閑と静まり返っていた空間へ、蛭魔の発した声が染み渡るようにすべり出し、
「たかだか“人間ごとき”って匂いのぷんぷんするご挨拶だが、だったらどうしてわざわざ、こちらの眼前まで、出來しゅったいして来てくださったのかの?」
ニヤリと、形容するのが一番に相応な。肉薄な唇の口角を、片方だけ持ち上げての、勝ち誇ったような笑い方。何物が相手であれ、威容では負けない。それがこの青年導師の基本的な身構えであり、
「探しものの、そう、糸口か何か。
持ってはおらぬかと期待してのお出ましなんだろうによ。」
少しばかり眇められた視線が、進行方向の真正面へと据えられて。金茶なんていう、玻璃玉みたいな淡い色をした双眸の放つ眼光は。不思議と…巨きな月のこぼす蒼白い光の鋭さにも引けを取らない存在感で、その場の空気を圧倒しており、
《 何をまた、薮から棒な言いようを…。》
鼻先で嗤い飛ばそうとした何物かの声を遮って、
「ほほぉ。なら、これは不要か。」
風除けの意味もあってのこと、今宵は少々久々の仰々しさ、略式ながら直衣姿でのした術師の彼が、その衣紋の懐ろから取り出したは、小振りな巻物が一巻。錦の装丁も擦り切れた、ずんと年季の入りたる、いづれゆかしき気配をまといし存在だったが、
《 そ、それはっ!》
たちまちにして、相手がまとっていた、どこか鷹揚な態度が引き剥がされる。室内の空気までもが一変し、ざわざわと落ち着きのない、居心地の悪いそれへと変貌し始める。
“はは〜ん?”
目眩しの咒でもかかっていたものか、この風景は偽物で、ここが何処かも察した葉柱が。それは素早く両の手で、何種類かの印を切り、
「哈っ!」
気合い一閃、片側の手のひらを、屈み込みながらという勢いもろとも。自分の足元、板張りの上へと叩き伏せれば、
――― ぎゃあぁおぅおうおう…っっ!
弾けるような悲鳴に続いて、長々とした咆哮が轟き、そして。
「…おっと。」
地震でも起きたか、足元が突然揺らいだが。そこからひょいと抱え上げられ、風を切るよに後方へ。一足飛びの跳躍にて、撤退を取った葉柱に身を任せていたところが。
「こんな大きな池なぞ、都にはそうそう無かったはずだがの。」
「池に見えるか、さすがは器量の大きい大将だの。」
ぽーんっと宙を翔け、夜陰の中、風を切って後退した彼らの背景から、屋敷の広間だった何部屋かが一気に消え失せ。そこからが結界のうちだったらしき空間の縁まで戻ったところ、今度は断崖絶壁を眼下に望む岩屋の間際に立っていた彼らであり。髪をなぶって吹きつける風が帯びたる匂いは正しく、海の潮のまといし香に違いなく。
「こうまで遠くへ“遠歩”で来やったか?」
別な空間経由という格好にて、瞬時に遠距離までを移動出来る技。陰体の身なればこそ、その要領を身につけている葉柱が、あの屋敷からここまで逃げたものなのか。そうと問う蛭魔へ、
「そうじゃねって判ってて訊くか?」
間近になりし精悍なお顔。そこへと据わった三白眼が、降りそそぐ月光を弾いてきろりと鋭く尖ったものの、
「勿論、訊いてみただけだ。」
怖いどころか、その容赦なく斬りかかるような男臭さが惚れ惚れすると。言うのはやっぱり癪だったので、せいぜい小憎らしいだろう顔つきを作り、にやりと笑ってやって、それから…それから。
「弓削山辻の筧家といや、山陰は出雲の隣り、伯耆地方の海岸沿いに領地のある家柄。そんな土地にある実家から、神様かかわりの何物か。ついのうっかりでこっちの屋敷へ、運ばれてしまったらしくての。」
山陰といえば、須磨や南紀の海とは違い、荒波高く冬場は極寒。険しき斜面も多く、暮らしにくい土地なのに。最も間近い“外国”の、半島や大陸と向かい合う土地柄が由縁してか、様々な奇跡やその伝承の数多く残る土地でもあったりし。殊に、出雲は国作りの神話や伝承には事欠かず、皇女が担う斎宮がおわす、帝とも縁りの強き土地。そんな関わりのおこぼれか、神威あふれる何物か、めでたい家宝がこの京へ、運ばれて来てしまったその余波で。
「そんな事態へ、先に住まわってた何物か、あまりの神々しさにちくちく苛められ、それが絶えがたくての暴れっぷりを披露したものの。」
皆まで言わず、先にくつくつと話のオチへ笑い出す蛭魔を懐ろの中に見下ろして、
「住まわる人間たちへはあまり堪えてなかったらしいな。」
それもまた、そのお宝からの防御が働いてのことか。家人らにはさしたる障害なんてものは現れなかったと見えて、
「ただ。その余波で、別なところに差し障りが出た。」
内側になってた手を挙げて、やわく握った拳でとんとん、胸板を叩いて合図とし、抱えられてた腕から降ろせと命じた。そのままそぉっと足から下げ降ろされた手際は、抱えるのと同様に、常のこととて手慣れたそれであり。互いに相手を見やることもなくの、単なる所作で、降り立ち降ろした双方が、周囲を吹きすさぶ風の中、散り散りに撹拌された気配を追う。ついさっきまでは水を打ったような静寂が満ちていた空間にいただけに、この格差はなかなか厳しいものがあったが、
“相手の胃袋の中よりかはマシさね。”
おおう。そんな物騒な場所だったですか、さっきの広間は。そして、
「この書が共鳴を起こして騒ぎ始めての。」
「その巻物が、か?」
さっき彼が取り出して見せた小ぶりの巻物。すぐ鼻先という間近にかざされても、邪妖の葉柱には、何かしらの…それこそちくちくと抵抗を感じるような気配は届かないから。蛭魔の仕事に必要な、封魔退魔に要る書ではあるまい。むしろ、
「…素手で持ってて大丈夫かよ。」
「俺の活力をかいかぶるならともかく、案じようとは見上げた侍従よの。」
ふふんと強気に笑った彼だったが、その白い手が穢れを握っているのが葉柱には耐え難く、
「…ほれ。」
それ以上は言わぬまま、大きな手のひら、開いて促せば。
「………。」
ともすれば挑むような、真っ直ぐな視線がこっちを見やったままながら。それでも彼にしては素直に、その巻物を委ねてくれて。
「死者の唱書。何でまたこんなもんが、人世界に転がってやがったよ。」
邪妖や悪霊への封印滅殺を、その絶対的な気力の強さで生業にしている蛭魔だったから。多少は免疫もあってのこと、不都合なく触れてもいられたが。何の身構えもない普通一般の人間が触れたなら、その場で立っていられなくなり、様々に気欝が訪れて生きてゆく気力を投げ出したろうことは間違いない。それほどに…中を見なくとも滲み出す気配だけで人心を傷つけるほど、深くて濃密な恨みや呪いが綴られた、悪意の塊り。
「だから。それを封印してたお宝だったもんだから。神様の威容を何とか退かそうっていう行動が、選りにも選って、封印されてたこいつを刺激しちまって。」
もともとは、海の向こうからやって来た代物で、悪魔とかいう鬼の眷属の呪いを導く書物でもあるらしいのだがな。国作りの神様ほどの威容でなくては、本来押さえてられぬほどもの妖気を帯びた品だから、
「さっきの声の主だとて、自分の意志から暴れておると思っていようが、さにあらん。」
「…こやつに操られてのこと、ってわけか。」
どう見ても、ただの巻物なのだがな。だがまあ、途轍もない邪気は感じるし、少なくとも、この、目の前の盟主にだけは近づけたくはないと。葉柱が本気でそう感じた代物だったから。
「けどよ。それって…お前が持ってたのか?」
さっきの怪しき声との対話の途中、彼は自身の懐ろから、これを取り出しはしなかったか? だが、
“…こんな気配、欠片もしなかった。”
いくら蛭魔本人が、咒力の強い術者だとて。こうまで禍々しい気配を身に添わせていて、すぐ傍らにいた葉柱が気づかないなんて有り得るだろうか。何処か怪訝そうな、そんな眼差しになったこと、さすがは蛭魔の側でも気がついて、
「まさか。さっきの屋敷の中、あちこちを探ってて見つけた。」
「探っててって…。」
どう見ても、子供の悪ふざけのような勢いで、ただただ、だんだんだんと。襖や板戸を押し割っては左右へ開いてばかりいただけのように見えたのに。
「途中から交替しただろうが。」
「…あの時に?」
ちゃんとした考えがあっての行動で、標的も判っていた蛭魔の、彼ならではの完璧な演技というやつが。葉柱へも見事に効力を見せていたというところだろか。ただ飽いたから交替しただけだと、思って疑わなかったのだからして。
「それでは…。」
「ああ。」
周囲を吹きすさぶ潮風の声が、太く低く、その存在を高らかに主張し始める。
「これこそが、この家の家宝様が封じし厄介な奇禍。そして、」
巻物を指差した手を、だが、近づけると葉柱が遠ざけたので。ああと、苦笑混じり、それでも素直に手は降ろしてこちらからも遠ざけてから、
「そやつが何をか唆したのか、それとも途中で自発的に気づいたか。それの力を借りたなら、生身の人ら、自在に操れると見込んでの家捜しをな、この家に憑いてた家主の方が、始めておったらしくての。」
ささやかながらも、くっきりと判りやすい奇禍を、何とか振り絞って家人らへと見せつけてやったに違いなく。
「そんなことをしたら、どうにかなるもんがあったのか?」
さすがに、何か触りがあるらしいと、ここの健やかなご家人に気づいてはもらえたようだけど。それから何が得られるものかと、葉柱が…周囲へと注意を払いつつも重ねて訊けば、
「気味悪がっての験げん直し、若しくは厄払いの儀式か何か、清めのための祈祷を仕掛けてくれたれば、大きな反発か若しくは家宝様との共鳴が現れて、そやつの居場所がくっきり判るとでも思った…としたら?」
「はぁあ?」
何だよそれ。だから、人間の力を借りての家捜しをやっちまおうと構えたわけよ。何せ、神々しい家宝に封印されてるブツなだけに、そやつも力を発揮出来なくて、手をこまねいてたに違いねぇからの。
「だから。現世での力を発揮出来てる小者をつついて見せた。…判らぬか? お前は体よく利用されただけよ。」
後半の言いようは、向かい合う自分へのものではないと。気づいた葉柱が自分たちの向背へと取り急ぎ、自身の意識を振り向ける。その気配に気がつかなかったのは、ここが依然として尋常ならざる場所であるからか? 月光が照らし出す何物かが、そこには居る。今、自分が手にしているこのブツを奪うのが目的の何物か。前には断崖、避けることは適わない。…が。
“踏みとどまれ、ってか?”
そのままで、振り向くなと。蛭魔の毅然とした表情が、目配せ一つででも何も言わぬうちから、なのにそれをそうと告げている。彼から見れば敵との狭間に立つ葉柱を、だが楯にする気はさらさらないと。その眼差しの剛さからそこまで判る。判るからこそ、
“こいつ…。”
彼自身の手が葉柱の二の腕へとかかり、ぐいっと脇へ。垂らされた緞帳でも掻き避けるかの如くに、押しやろうとしたのへと………。
「…っ!?」
こっちからも抵抗をかけ、ぐっと踏みとどまって逆らって見せて、それから。
「…わっ。」
それとは入れ違い、相手の脇を擦り抜けての背中へまでへ。すいと伸ばした、ただの片手で。蛭魔のまといし衣紋の佩、ぐっと握ってそのまま持ち上げ、器用にも腕ごとの胴回りをぐるりと、片腕だけにて封じての。痩躯とはいえ、相応に育った青年を一人、手荷物扱いで小脇に抱えてしまって。それから、
「御大は最後の最後に、満を持して出てくるもんだ。」
言うが早いか、くるりと振り向き、空いた側の腕を振り上げて、
「来やっ!」
ここが依然として相手の結界の内であるなら。召喚しても来なかったかもと、後になってから考えが及んだ単細胞だが、心配ご無用、愛用の闇の刀は手元へしっかとやって来たから。鯉口の周囲へと巻かれた組み紐を歯で押さえ、がちりと鞘から抜き放つは、蒼く輝く氷の刃。途中からはぶんと腕ごと振り抜いて、陰の輝きを月光で増した、自慢の得物の切っ先を、顔近くへかざしての青眼の構え。
《 ほほぉ。一応は負界に連なる陰の力も、操れるままの式神であるようだの。》
さっきの声が、再び聞こえた。振り返ったことで向かい合うはずだった何物かの声に違いなかろうに、そこには…月光が降りそそぐ空間には、意外にも誰も何物もその姿を据えてはおらず。
《 召喚されし式神は、盟主の都合に合わせてのこと、陽の殻器をいただいて人と変わりない身と成り果てる者が多いと聞くに。》
無論のこと、そうともなると用いることの可能な咒力魔力は随分と削られてしまうがの。愚かしいことよと苦笑混じり、判ったような言いようをするのへと、
「おうともさ。なればこそ俺様は、殻器も自前で用意させての、このまんまにしといてやってるってのによっ。」
抱えられてる立場が歯痒いか、離せともがきつつの腹いせ、そんな憎まれを言ってのけた盟主へ向かい、
「ああ。それへは感謝しているさね。」
だってだから、式神の任と並行して、一族の総帥としての働きもこなせている。陽の殻器を与えられての契約だったなら、自分の力は盟主にしかそそげなくなり、一線を引いたあちらとこちらの存在に分かれることとなるがため、接するくらいなら出来もしようが、結局はそこまでの間柄。コトが生じたときに一族を守るなんて不可能となり、果ては しばしのお別れを強いられたことだろう。
「だから尚更、俺は式神の任も、きっちりこなせねばならんのだよ。」
蛭魔からさっき預かった巻物が、ねじ込んだ懐ろで異様な熱を帯び始めてる。早くに方をつけないと、屋敷を途中から自身の体につないでた邪妖の代わりにと、やはり陰体の自分が取り込まれる恐れだってある。
「俺を見込んでいるんなら、盟主よ。」
空々しい呼びかけに、何だっと喧嘩腰で応じれば、
「ちっとは大人しくして、此処は任せてくれねぇかの。」
「…っ!」
宥めるように言いながら、ザッと腰を落としての身構えは。本気も本気の集中に入ったその取っ掛かり。こうまでの気合いを見せられては、
「…。」
下手なあがきはむしろ邪魔だと判るから。その代わりに腕を緩めてくれと、ごそりと身をよじれば、するりと拘束が緩むは阿吽の呼吸。そうさせといて最後の最後、ある意味で葉柱を裏切っての独断攻勢へと、やはり蛭魔が飛び出すやもとは疑わない。そんな実直さを愛しいと思えばこそ…信頼には応じねばならず。但し、絶対に眸は逸らさないでいる、その凝視の先で。大きな背中が今度こそはの楯となり、自身の裡うちに高めし覇気を、姿なき対手の気配へと、強く剛く練り上げている。こちらはいつもの黒装束、少しほど絞って着付けた独特の狩衣が、強い風に叩かれることで肢体へ張り付いて、その屈強な背中や肩の線を、ほぼ生身の輪郭にて浮き上がらせており。ひらめく衣紋とそれから、肩先や首元に躍るように弾けるように、激しく掻き乱されてる黒髪だけが、躍動的にはためいているが、彼自身はびくとも動かず。
――― 自然の絶景に見せかけたこの異空間の主へ、敢然と挑む態勢にて。
剛き意志のその切っ先を、揺るがしもせずに尖らせており。
何とも頼もしいことかと、それこそこの挑発的な術師が彼らしくもなく、声もなく見つめていたその矢先、
「吽っ!」
深みのある光が炯々と意志の光をみなぎらせ、鋭敏に尖らせているのだろう五感が、周囲の気配をまさぐっていたものが。何物かを捕らえての反射を見せての激発、厚みのある一喝とともに、剣の切っ先が宙を鋭く掻きむしる。そのままでは効果的な一撃にならぬと見なしての微調整。手元はもっと大きく、腰近くからぐんと下の、足元近くまで鍔を下げられた大太刀が。手元で刃の向きまでもを反転させられ、腰をも下げた態勢が、そのまま一気に真横へと、薙ぎ払われたから………。
「…葉柱?」
一体何をどう切ったのかと、あまりの変則へ眸が点になりかけた盟主様であったのだけれど。
――― ぐぎゃあぁっっ!!
何もなかったはずの空間、その裾から ばらばらばらっと。零れるように地へとばらまかれた何物か。それらを蹴散らすように大きく一歩踏みいだし、体の脇へと払った太刀を、くるりと回し、利き手ではない側ながら、しかも逆手に握ると、そこから一気に宙へ高々、切っ先を逆上らせた葉柱であり。
――― 斬っ、と。
大柄で巌のような屈強頑健さを見せながら、伸びやかな動きを無理なく連動させ発揮しもする、鍛練の行き届いた肢体の頼もしさ。その腕が払い飛ばした後には、胴が長々と伸びた蟲…それも長虫の腹が真っ二つに裂けた切り口が現れる。先程まずはと切り払いしは、その蟲の腹に幾組もあった脚らであったらしくって。
「俺らと一緒くたにされがちだがの。こやつら、俺らの眷属にもちょっかい出しやがる仇敵での。」
きぃきぃ、空気を引っ掻くような。悲鳴なんだか呻きなんだか、耳障りな声を放つ相手は、もう反撃の力は絶えたものらしく。腹を天へと仰向けて、その姿を無様なまでに晒しておいで。
「ムカデ…。」
呆気に取られているところを見ると、蛭魔もそこまでは相手の正体を把握していた訳ではなかったらしく。単なる蟲であったことかそれとも、その虫が自分の背丈の二倍は大きな存在であったことへか。どこか呆然として声が続かぬ様相を示しており。
「霧が、晴れて来よったぞ。」
「霧………?」
言われて周囲を見回せば。どこの海へと面していたか、闇色と混ざり合う水平線も覚束なかった、だが間違いなく波立つ海に接していた断崖だったはずの周囲が、さわさわと草の波が夜風に掻き回されているばかりな、単なる河原へと様相を移す。
「踏み込んだ屋敷じゃあないけれど、ああまでの遠くに運ばれた訳でもないというトコロかの。」
そこまでの遠くへまで跳躍出来るなら、家宝様からの封印などと何の障害にもなってはいないということにもなろう。
「冷静なものだの。」
「なんの。お前様がとくとくと話してくれたことをな、繋いでみたらばその続き。そういうことかと、想像が届いたまでよ。」
どこぞへと振り飛ばしたはずの闇刀の鞘を拾い上げ、ちきりと刀をそこへと収めた葉柱だったが、
「…………。」
「どした?」
その手が…止まって、動かなくなり。少しだけ俯いてた顔、前へと零れた髪で遮られていて見えなくて。
「葉柱?」
声をかけつつ手を伸ばせば、先に向こうからの腕が…跳ね飛ばす仕草を示す。彼からの拒絶だなんて、思ってもみなくて。
「な…、」
どういうことかと狼狽うろたえかけた蛭魔だったが、
「寄、るな。」
苦しげな声、見やれば懐ろの真上、狩衣の合わせを大きな手が鷲掴みにしており、
「あ…。」
はっと気づいたのが、先程の巻物。外界へと触手を伸ばしていたそのよすが、たかがムカデの邪妖でも実行力のあった存在を、あっさりと倒されてしまったことからの方向転換でも構えたか、それを懐ろに収めていた葉柱を、今度は取り込もうというつもりなのか。
“…冗談じゃねぇっ!”
封印の咒詞を綴った御幣を懐ろから掴み出し、それを山ほど叩きつければ、何とか侵食の威力は軽減出来るかと思いもしたが、
「あ………。」
当人がまずはの抵抗をしているうちは、手が出せないことへと気がついた。葉柱もまた“陰体”であるがゆえ、邪妖を攻撃するための撃符は彼を痛めつけるだけ。こういう展開になるかもと、混戦や激戦の予想のあった仕儀であるなら、それなり、前以ての予防の策も取っていたところだが、今回はそこまで恐れていなかったのが災いした。
「かは…っ。」
膝から足元へとその身が頽れ落ち、辛うじての膝立ちになったそのまま、前かがみになって。自分の腕で抱えるようにした胸元を、やはり自分のその手で掘り返したいかのように掻き毟り、それでも尚、必死になって戦っている。自我を呑まれまいと、そうなったなら、目の前にいる蛭魔に…盟主であるのにまずはと掴みかかりかねないからと。そうならないためにと思ってのことだろう。顔を上げた彼は、必死の形相で、その視線で、蛭魔へ逃げろと言っている。少しでも自分から遠ざかれと望んでいる。
“…そんなこと、出来ると思うのか?”
まとった黒衣よりなお黒い、もやのような煙のような何物か。懐ろから吹き出し始めているのへと。何とも出来ない口惜しさへ、喚きたいのを必死に堪え、唇が切れそうなほどきつく噛みしめて、だが、視線は外せずにいるばかり。
“…どうしたらこいつを助けられる?”
“どう、したら…こいつを引き離せる?”
別々のこと、なのに同じこと。目の前で苦しむ相手を助けてと、苦しげに一心に思う二人が睨み合っていた夜陰の狭間へ、
――― 突然の疾風が立ちのぼる。
◇
夜中にふと、目を覚ましてから。むうむうと愚図ってたくうちゃんが、それでもセナの子守歌に引き込まれ、再びうとうと眠りの縁へと、素直に誘われかかっていたものが。
「とと様、おやかま、ちゃま………。」
寝言だろうか、可愛らしいお声での独り言。うにゃむにゃと呟いていたのが聞こえたから。
“居ないって判ったから、尚のこと寂しいのかなぁ。”
寝るときはほどいてうなじ近くに結い直す、やわらかい髪をそぉっと撫でてやり。小さな肢体を抱え直してやったその間合い、
「………え?」
さっき進さんが灯してくれた、やわらかな明るさの光玉とはまるきり違う、真昼に近いほどもの光が室内に満ちる。物の陰さえ飲み込むような、堅い質感さえあるんじゃなかろうかというほどもの、強い光。
《 あるじ。》
どこからともなく進の声がして、いっそ掻い巻き布団を頭からかぶっちゃおうかと思ったセナがハッとする。再び、身を起こせば。
「あ…。」
自分の懐ろから温もりがスルリと逃げた。本人の動きにしては不自然な、横たわっていたものが、いきなり全身で寝間から飛び上がったかのような逃れようであり。
「くうちゃん?」
ついのこととて手を伸ばしながら見上げたその先。ふわりと浮いている くうがいて。そんな術もないではないが、足先が完全に寝間から離れて浮いているなんて。
“まだこんな難しいこと、習ってはいないのに?”
人の姿へ化けられるくらいだから。妖狐の彼にはそもそも備わっている力なのかも? そうこう思いつつ、ただの寝相かそれとも発作か。どうしたもんかと戸惑っていると、
「主。」
今度ははっきり、進の声がして。振り返れば、思ったよりも間近いところ。すぐにも懐ろへ掻い込まれてしまったほどもの、すぐ後ろに現れていた彼であり。
「進、さん?」
「見ていなさい。」
「でも…。」
「手出しは出来ません。この光も、あの童が…。」
え…?と。セナがびっくりしたのを、煽るかのように。ふわりと浮かんだ小さな坊や、お指を咥えて、ゆっくりゆっくり眸を開くと。はっきりした声で、一言言った。
「ととさま、連れてっちゃ、メですの…。」
◇
何がなんだか、事情が見えない。封印の途中で思わぬ窮地に立った二人だったが、いきなり立ちのぼった竜巻みたいな疾風が、彼らを包んで駆け抜けてって。我に返った彼らが周囲を見回せば、問題の巻物は葉柱の懐ろから飛び出して足元へと転がっており。今度こそはと、蛭魔が封咒の御幣でくるんで回収。だが、
“…これは?”
巻物の最後、ほどけぬようにと巻きしめている紐が、最初のそれとは違っているような。古臭い紐だったはずが、金色の新しいのへと変わっており。それ自体から、何かしらの咒の匂い。
“これだと、家宝様とやらに近づけぬとも、そうそう滅多には飛び出せまいよ。”
それほどの効力を感じる何か。一体いつの間に巻き付いたものやらと、しきりと首を傾げていた金髪痩躯のお館様が、何となくながらの事実、妖狐とはこれほどもの力を持つものかという答えらしきものに辿り着くのは、ご帰還してから夜が明けて。セナくんから一部始終を聞いてからとなるのだが。今はさても、疲労困憊。なんだか無事なようだからと、ほうと肩から力を抜いての、安堵の一時、噛み締めながら。
「…あのな、お前。」
「んん?」
「あんまり“式神”式神って言われてんの放っておくな。」
「? なんで?」
「だから…軽んじられねぇのかよ。」
他の奴に、しかもくっだらねぇ奴輩にこの彼が馬鹿にされているのは、自分へもいい感触はしないから。それでとついつい、口を衝いて出ていた愚痴もどき。口にまでは上らせぬそんな意が、だが、通じてか、
「ほほぉ。」
葉柱がなんとなく、感慨深い表情になったもんだから。それもまた蛭魔には癪で、
「勘違いすんなよ? 俺までもが見下されてるようで片腹痛いだけだかんな。」
「ああ、そりゃ判る。」
くすんと、口元を判りやすくほころばせた葉柱だったが、ただ、その目許には…何だか案じるような。こっちをこそ宥めるかのような、そんな色合いを静かに浮かべていて。
“………。”
子供の駄々を見守るような、そんな目で見られてるような気がして、ふいっとそっぽを向きかけたものの、
「そんな真似はさせはしねぇから、案ずるな。」
「お、おう、そうか。」
ならいいさと、付け足せば、彼の側でも思わず真摯になった空気を気まずく感じてか、
「他の輩には、口を裂いても勝手は言わせねぇからよ。」
「…それって凄まじく怖い折檻なんだがよ。」
ちびや くうの前では言うな? あ・おう…なんてな、ややこしいやりとり、交わしてそれから。いつの間にか再びのお顔を、雲間から覗かせているのに気がついた、今度こそ正真正銘、本物のお月様。どちらからともなく見上げた二人。さあ帰るかと、やはりどちらからともなく言い出して、のんびり家路につくこととした。晩秋の夜風はさすがに冷たいけど、お仕事ではばたばた慌てたし、辛くもあったけど、そんなの忘れられるほどに暖かいお家が、家族が待っているから大丈夫。何かしら話しかけた金髪の術師の細い肩を葉柱が抱き寄せ、そのまま二人の影が宙へと掻き消えて。後にはただ、風が吹き抜けてゆくばかり………。
〜Fine〜 06.11.06.
*すいません、お侍さんのビデオ漬けです、相変わらずに。
キュウゾウさんという人が、可愛くてしょうがないvv
剣の達人で、無茶苦茶に身も軽くて戦闘能力はピカイチ。
その分、ぼこぉっと色んなところが抜け落ちてるみたいな極端さが、
カッコいいのと同じくらいに、凄い可愛くてしょうがないオバさんですvv
(こらこら、何のコメントだい。)
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